水無月

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京都で学生生活を過ごして以来、6月になると和菓子屋さんに並ぶ水無月が好物になり、6月に京都を訪れる機会があると必ず味わってきました。京都では、夏越しの祓いが行われる6月30日に厄除けのために食べるものですが、私の住む地方ではその習慣はないため、近所の和菓子屋さんでは売られていません。そこで昨年知り合いの和菓子屋さんに作ってくれるように依頼したところ、昨年はあまりよい出来ではなくがっかりしましました。しかし、今年は見栄えはともかく味はよくなりました。作ってもおそらく夏越しに食べる習慣もないので売れないだろうと考えて、昨年は私の注文だけを作っていたようですが、今年は試しにお店に並べたところ売れたそうです。来年からは本腰を入れて作り売り出すようなので、京都まで行かなくても地方版の水無月が毎年味わえそうです。

一週間ぶりの散歩

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弟が亡くなって一週間が経ち、葬儀やその後の挨拶などもひと段落したので、久しぶりにハンナを散歩に連れていきました。弟が危険な状態になってから葬儀が終わるまで、夜遅くに家の近辺を歩かせたことはありますが、いつもの公園や海辺へ行くことはできませんでした。一週間ぶりの本格的な散歩です。昨日は雲が多く、ときどき小雨が降ってくるお天気でしたが、夕方から晴れ間が出たので海辺へ連れ出し、リードを外して自由に砂浜で遊ばせてきました。夕日が沈む前でまだ気温は高めながら、久しぶりの散歩だったうえ気持ちのよい風が吹いていたためハンナは嬉しそうに砂の上を歩き回り、砂浜に空いた無数の穴を出入りするたくさんのスナガニのあとを追っていました。

日食の日に

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世間では日食が話題になった日の夜遅く、21日の午後11時35分に弟が息を引き取りました。昨年の5月15日に長くて数か月という余命宣告を受け、それでも気丈に入院も拒否して何とか元気になろうとし、体力を維持するためといって最後まで自分の足で歩こうとしていましたが、宣告から一年余頑張ったものの、とうとう力尽きてしまいました。この何か月かは一人で通院するのは無理だと考え毎回付き添っていたところ、今月に入ってからは体力の衰えが目に見えて分かるようになり、私より一回りも二回りも大きかった体が見る影もなく痩せてしまいました。17日の外来診察の折には自分で歩くこともままならないように見えたので入院させたところ、日に日に状態は悪くなり、21日の午後から急速に悪化した病状はとうとう回復することがありませんでした。まだまだこれから先があると考えられる年齢なのに、こんな結果になり悔しく残念でたまりません。それでも、もう命も長くないように感じられたので呼び寄せた身近なものが顔を揃えた20日は、笑い顔を見せ、私の家族と妹が残った病室で、今日は幸せな1日だった、と嬉しそうにいったことや、臨終間近な時間には妹が子供のころの思い出を語りかけたり皆で名前を呼ぶと、苦しそうだった表情が穏やかに変わっていったことは、残ったものにとってはせめてもの慰めになりました。今も子供のころから兄弟で過ごした数多くの出来事が、次から次に湧き上がってきます。苦しさから解放され、葬儀も終えた今は、安らかに眠ってほしいと心から願わずにはいられません。

朝の田にゴイサギがいた

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田が広がる朝の農道を車の窓を開けてゆっくりとした速度で走っていると、遠くの水がたまった休耕田の中を背の低いサギのような野鳥の姿を認めました。急いでその田の近くへ車を動かし探してみると、草の間をゴイサギが歩いていました。コサギやアオサギなどと違い、夕方から夜にかけて姿を見せたり声を聞かせてくれることが多いサギなので、まさか朝の光が明るい田にゴイサギがいるとは思いませんでした。車の中から見ていると餌を探すことに夢中らしく逃げる様子もなかったため、少しずつ車を寄せていき、久しぶりになるゴイサギの姿を近くでゆっくり観察し写真もたくさん撮ってきました。

小次郎の遊び道具

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今月12日に剣道の稽古ができるようになってから15日、昨夜と一週間の間に3度稽古をすることができました。ただ、使用できる体育館内の剣道場は1グループ6人までで、使用時間も45分間の制限がついているため、いつものように、多くの相手と十分な稽古ができません。不完全燃焼のまま竹刀を納めているこの頃の稽古です。しかし新型コロナウイルス騒動で剣道場がどこも閉鎖されていたことを思えば、稽古ができるだけでもありがたいと考えるべきでしょう。写真は、稽古から帰宅して着替えをしてから外した剣道具を片付けようとしたところ、胴をひっくり返し屋根のようにしてその中にもぐりこみ、片手素振り用に庭のカシの枝で作った木刀を抱えこんで澄ました顔で座っている小次郎です。稽古が始まると手入れしたり乾燥させたりするために剣道具を出しておくことが多くなるので、小次郎の遊び道具に使われるようになります。

ララがいたころの夜更けのリビングルーム

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午前零時を回ってお風呂に入ろうとして階下へ行くと、リビングルームでハンナと小次郎は床の上に横になり、マリーは椅子の上で丸くなって安らかな表情で眠っていました。ネコたちは眠ったままでしたが、私に気づいたハンナはいったん目を開け尾を振ったものの、眠くてどうしようもないといった表情ですぐにまた目をつむっていきました。ネコ2匹もハンナも眠くなるともうどうにも我慢ができないようです。ところが、この3匹と違って昨年夏に亡くなったララは、私が夜通し起きて仕事をしたり絵を描いていると、必ず起きてそばにいて話し相手になったり一緒にお菓子を食べていました。今もペットたちは3匹が周りにいてくれますが、いつも私と行動を共にしていたララがいなくなった寂しさはなかなか消えていきません。写真は、2年前の5月20日の夜更けに撮影した、本を読む私のそばでララだけが起きている懐かしい写真です。ペットたちが眠っている様子を見て、ララがいたころの夜更けのリビングルームを思い出した夜でした。

公園にヒバリがいた

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公園の芝生広場でハンナを自由に遊ばせていると、突然立ち止まって前方の一点を見つめ始めました。何かがいるようなので近寄っていき望遠レンズで見たところ、シバの間にたくさん広がったシロツメクサの葉の間でヒバリが蹲っていました。怪我でもしているのかと思ってハンナに戻ってくるようにいい、離れたところから一緒に様子を見ていると、そのうち元気にシバの上を歩き回った後飛び立っていきました。これまで公園内でヒバリを見たことはなかったので、1枚写真を撮っておきました。この頃のハンナは、ルナやララがそうだったように、ときどきこんなふうに野鳥を見つけてくれます。

一緒に座ろうよ

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公園の木陰にある四阿に設置された、陶器製のタイルが貼られたベンチに座るハンナです。座ると陶器の冷たさが伝わってきて気持ちがいいのか、ハンナはこのベンチが大好きで、いつも散歩の途中でこのベンチに上がって休んでいます。ことに気温が上がってくると、散歩を始める前にまずこのベンチへやってきて座りたがることが多くなります。同じようにいつもこの公園を散歩したアメリカンコッカースパニエルのルナやララは、全く関心を示しませんでしたが、やはりハンナはスイスの高地が原産のイヌなので、寒さには強いけれど暑さは苦手なのでしょう。特に最近では自分の横へきて私も座れという意思表示をするようになったので、よく一緒に並んで座り、お尻から伝わってくる冷たさを感じながら通り過ぎていく風に吹かれています。

ハンゲショウの前で

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公園の湿地に茂るハンゲショウの葉が白く色を変え始めました。数日前に訪れたときにはまだ数枚の葉が白くなりかけているだけでしたが、今日はたくさんの葉が白化していました。この数年毎年ハンゲショウの葉が白く変わると、すぐ近くの芝生広場で遊んでいるララとハンナを呼び寄せ、白くなった葉を背景にして写真を撮ったものです。昨年の記録を見てみると、6月23日に2匹が並んで写真に納まっていました。それが今年は、ファインダーの向こうに見えるのはハンナだけになってしまいました。寂しい限りです。上段の写真は今日のハンナ、下段は昨年6月23日のララとハンナです。

波打ち際のシロチドリ

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波が打ち寄せる砂浜を歩いていると、アオサ、テングサ、オゴノリなどの海藻が打ち上げられた波打ち際で、シロチドリの雄が1羽立ち止まってこちらを見ていました。近くにはたくさんの小石が打ち上げられて積もっていて、チドリの仲間の営巣場所には最適なところなのでどこかに巣があるのだろうと考え、それらしい場所は遠回りして歩いてくると、シロチドリは私とハンナを監視するようにじっと見つめていました。擬傷行動は起こさなかったので、まだそれほど差し迫った危機感は持っていなかったようですが、それでもなんだか邪魔をするなと言いたげな様子で、私たちが遠ざかるまで目を離しませんでした。